今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は青木三兄弟の末弟で、1995、1996年に世界GP王者(125cc)となった青木治親です!

8耐初表彰台は、ロードレース引退後!?

青木宣篤、青木拓磨、そして青木治親の青木三兄弟は、ロードレースブームのころの日本で、最も有名な3兄弟だったと言えます。いずれも幼少期からその卓越した速さをポケバイなどで披露し、ロードレースデビューしてからすぐに有力チーム入りするなど、その将来を嘱望されていました。

3男の治親は1992年にロードレースデビューしますが、その年の鈴鹿8耐の前座である鈴鹿4耐では藤原克昭とコンビを組んで優勝。1994年は岩橋健一郎と組んで鈴鹿8耐7位に入り(ウルトラマンパワード桜井ホンダ / RVF/RC45)、その非凡な才能を多くの観衆に見せつけました。

その後も青木治親は2003年まで鈴鹿8耐に幾度も参戦しますが、シングルフィニッシュはあれど表彰台には届かないリザルトに終わりました。そして2003年を最後に、治親はロードレーサーからオートレースの選手への転向を決意。2004年にオートレース選手としての、デビューを果たしています。

オートレースの選手となったことで、治親と鈴鹿8耐の縁は切れたように思われましたが、2005年に所属する川口オートレース場を所有する川口市のバックアップを受け、オートレース・ハルクプロというチームが8耐に参戦。現役オートレース選手でありながら、このチームのエースとなった治親は安田毅史とペアを組みホンダCBR1000RRで出場。そして見事総合3位、JSB1000クラス優勝を果たしました!

画像: 「自分が育ったロードレースを盛り上げたい気持ちと、オートレースのことも多くの方に知っていただきたかったので出場を決めました。表彰台に立てたことは本当に嬉しいです」とは、2005年大会を終えての青木治親のコメントです。 オートバイ/モーターマガジン社

「自分が育ったロードレースを盛り上げたい気持ちと、オートレースのことも多くの方に知っていただきたかったので出場を決めました。表彰台に立てたことは本当に嬉しいです」とは、2005年大会を終えての青木治親のコメントです。 オートバイ/モーターマガジン社

ロードレーサーとして素晴らしい業績を上げた青木治親には、さまざまな将来の選択肢があったと思います。しかし様々な思いを振り切り、一生ライダーでいることを望んでオートレーサーに転向した青木治親を、みなさんも応援しましょう!

画像: 一生ライダーでいたい 青木治親選手 youtu.be

一生ライダーでいたい 青木治親選手

youtu.be
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