"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載です。今回は1987年大会を走った、ヤマモトレーシングのホンダVFR750Fです!

大阪のトッププライベーターとして活躍

名チューナー、山本英人が率いるヤマモトレーシングは、1980年代にワークスチームと互角以上の勝負をするプライベーターとして知られていました。1986年の鈴鹿4耐ではヤマモトレーシングのホンダVFR400Rが、メーカーの息がかかったチーム勢を尻目にコースレコードでポールポジションを獲得。その時のエースライダーは、後に全日本TT-F1王者(1990年)になる岩橋健一郎でした。

1987年、特別昇格で国際A級となった岩橋は、ヤマモトレーシングのホンダVFR750Fで全日本TT-F1に参戦します。そしてこの年の鈴鹿8耐では、リチャード・ムーアと組んで参戦。予選は31番手でしたが、決勝では首位に13周遅れの13位というリザルトを残しています。

画像: 1987年大会を走る、ヤマモトレーシングのホンダVFR750F。ステアリングヘッドの位置が高いためハンドルバーが高く、「昔」のスーパーバイクっぽさを感じさせるマシンです。 ©オートバイ/モーターマガジン社

1987年大会を走る、ヤマモトレーシングのホンダVFR750F。ステアリングヘッドの位置が高いためハンドルバーが高く、「昔」のスーパーバイクっぽさを感じさせるマシンです。 ©オートバイ/モーターマガジン社

画像: フロントフォークのインナーチューブが、トップブリッジから大きく突き出している点に注目です。 ©オートバイ/モーターマガジン社

フロントフォークのインナーチューブが、トップブリッジから大きく突き出している点に注目です。 ©オートバイ/モーターマガジン社

この後、ホンダVFR750R(RC30)のデビュー後にヤマモトレーシングは主戦マシンをスイッチ。岩橋は飛躍的に戦闘力を高めたマシンを得ることによって、一気にその才能を開花させることになりました。そして1989年にはワークスを破り全日本で初優勝という快挙を達成。そのシーズン終盤には、HRCからワークスRVF750を貸与されることになりました。

なおヤマモトレーシングは1990年に設備拡充のため、東大阪市から三重・伊賀上野へ移転。2000年代の鈴鹿8耐ではXフォーミュラにホンダCB1300SFベースのマシンを走らせ、多くの観衆を驚かせています。

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