©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド
今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。今回はヨシムラとホンダで通算3勝をあげた現役8耐ライダーの秋吉耕佑です!

ヨシムラの27年ぶりの鈴鹿8耐優勝に貢献!

1975年に福岡県久留米市で生まれた秋吉は7歳でポケバイデビュー。1993年には18歳で九州選手権を走るようになり、HSR九州や、阿蘇サーキット、SPA直入などで、玉田誠や、故加藤大治郎らと、激闘を繰り広げて、技術を磨きあげました。

1995年には特別昇格と同時にスズキ入り。この年は全日本250ccクラスでランク24位の成績を残しています。翌1996年は同250ccクラスをスポット参戦でランク11位を記録。またこの年、山口直範とペアを組み鈴鹿8耐に初参戦。チームはギャッツビー・レーシングで、スズキGSX-R750を駆り17位完走という成績でした。

1997年からは全日本スーパーバイククラスにステップアップ。ラッキーストライクスズキのGSX-R750に乗りランク10位を記録。同年の鈴鹿8耐では藤原克昭と組んで参戦しますが、43位という振るわない成績に終わってしまいました。

1998年以降は、スズキの開発ライダーの仕事をメインとするようになり、シリーズ戦のレギュラーライダーからは退くことになります。2001年まではRGV-Γ500を開発。スズキにとっては1993年のケビン・シュワンツ以来となる、2000年のケニー・ロバーツ Jr.の世界ロードレースGP500ccクラスタイトル獲得に貢献。そしてMotoGPがスタートする2002年から2005年までは、4ストロークV型4気筒のGSV-Rの開発を担当します。

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2005年からはMotoGP開発ライダーを続けながら、全日本JSB1000クラスにスポット参戦。最終戦のツインリンクもてぎでは優勝するなど活躍し、年間ランク11位となりました。2006年からはフル参戦を再開。ヨシムラライダーとして年間4位を記録。またツインリンクもてぎでのMotoGPではワイドルカード出場を果たし、予選12位・決勝13位のリザルトを残しました。なおMotoGPのワイルドカードでの出場は、その後2008年まで3年続きました。

2007年、秋吉はWINs SUZUKI R.TからJSB1000クラスに出場しましたが、ランク17位という成績に終わりました。しかし、同年の鈴鹿8耐では加賀山就臣と組んでヨシムラからスズキGSX-R1000で参戦して大活躍。188周目には全車をラップダウンする会心の戦いぶりで、ヨシムラに1980年以来となる鈴鹿8耐3勝目をプレゼントしました!

ホンダではふたつの鈴鹿8耐勝利を記録!

ヨシムラ2連覇を狙った2008年の鈴鹿8耐では、雨に翻弄され4位に終わりました。そして2009年に秋吉は長年属したスズキを離れ、ホンダに移籍。MotoGP開発ライダーとしての業務をこなしながら全日本にスポット参戦。同年の鈴鹿8耐では伊藤真一と組んで、F.C.C. TSR ホンダから出場しますが、転倒などのトラブルがあり9位にとどまりました。

2010年も秋吉はF.C.C. TSR ホンダから鈴鹿8耐に参戦しますが、スタート時に他車と接触してクラッチレバーを曲げてしまいます。それでも3周目に首位に立ちますが、黄旗無視でストップ&ゴーのペナルティを課されます。さらにもう一度、黄旗無視のペナルティを課されることになり、追い上げに焦ったかペアライダーのジョナサン・レイが転倒。これで首位争いからは大幅に後退しますが、3位表彰台をなんとか獲得しています。

なお同年、F.C.C. TSR ホンダから全日本フル参戦を果たした秋吉は、自身初となる全日本タイトルを獲得しています(JSBシリーズチャンピオン)。そして翌2011年も、秋吉はタイトル防衛に成功しました。

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2011年の鈴鹿8耐もF.C.C. TSRホンダから秋吉はエントリー。チームを組んだのは伊藤真一と清成龍一でした。序盤スタートライダーを務めた清成が転倒! 複数回のピットイン&修復作業のタイムロスにより、2時間半経過した時点でトップから33秒の差がついてしまいました。しかし、3時間を過ぎたあたりから徐々に差を縮め、4時間30分経過時点で秋吉がトップグループに追いつき、一気に2台を抜いて3位から首位に再浮上しました。その後は徐々に差を広げ、最終的に2位に38秒の差を付けて見事優勝。秋吉にとっては2度目の鈴鹿8耐制覇となりました。

2011年、F.C.C. TSR ホンダのメンバーとして、伊藤真一と清成龍一とともに勝利を喜ぶ秋吉(中央)。

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翌2012年は、F.C.C. TSRホンダでジョナサン・レイと岡田忠之と組んで鈴鹿8耐に出場。全日本開幕直前のテストで大腿を負傷し、長期欠場していた秋吉にとってはこの8耐が復帰戦でしたが、見事連覇を達成しました。

怪我からの復帰戦となった2012年の鈴鹿8耐で、秋吉はF.C.C. TSRホンダの8耐連覇を達成しました。

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2013年は怪我により鈴鹿8耐を欠場。2014年はF.C.C. TSRホンダで出場。途中の雨で、雨を得意とする秋吉は後続を引き離し、首位固めに成功します。しかし108周目の130Rで、ジョナサン・レイからCBR1000RRWを受け継いだ秋吉が痛恨の転倒を喫します。その後マシンを修復し復帰しますが、40位という結果に終わりました。

2015年から秋吉はau&テルル コハラRTに移籍し、キットパーツベースのCBR1000RRでのレース活動を継続しています。第40回記念大会となる今年の鈴鹿8耐では、同チームから大久保光と長島哲太と組んで出場。ベテランライダーの秋吉が、どのようにチームを引っ張る活躍をするのか・・・注目していきたいです!

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