今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。そんなマルチ-タイム・ウィナーを紹介する当連載。今回は最初に4度、鈴鹿8耐で優勝したGP王者、ワイン・ガードナーです!

初代「8耐男」と呼ばれたチャンピオン!

1959年、オーストラリア、ニューサウスウェールズ州に生まれたガードナーは、18歳だった1977年に中古の市販レーサーのヤマハTZ250でレースキャリアをスタートさせます。デビュー戦のアマルー・パークでは2位でフィニッシュ。その数週間後のオラン・パークでは早くも初優勝を記録しています。

1981年、ガードナーの才能を最初に見出したのはモリワキでした。この年の鈴鹿8耐でモリワキモンスター(自社製アルミフレームにカワサキZ1エンジン搭載)に乗ったガードナーは、並み居るワークス勢を尻目にポールポジションを獲得(決勝はリタイア)。また英国選手権でもモリワキライダーとして、ガードナーは目覚ましい活躍しています。

そして1982年、ガードナーはホンダ・ブリテンのライダーに起用され、ワークスライダーの道を歩みだします。1983年には世界ロードレースGP最高峰の500ccクラスに参戦。1984年にはホンダの2ストローク3気筒NS500に乗り、スウェーデンGPで3位初表彰台を獲得。1985年には5回表彰台に上がりランキング4位と、着実に成長しています。

その1985年の鈴鹿8耐に、ガードナーは初優勝を飾りました。「伝説」のケニー・ロバーツ/平忠彦組(ヤマハ)に速さでは負けましたが、粘り強く最後まで全力走行を続け、最後の最後でのライバルのリタイアにより、逆転勝利を記録したのです。

画像: 1985年大会、表彰台の中央に立つガードナー/徳野組。 オートバイ/モーターマガジン社

1985年大会、表彰台の中央に立つガードナー/徳野組。 オートバイ/モーターマガジン社

翌1986年は、世界ロードレースGP開幕のスペインラウンドで初優勝を記録。この年はホンダのエースのフレディ・スペンサーが手首痛で不振を極め、ガードナーが代わりにエース格の仕事を求められることになりました。GP500ccクラスで計3勝をあげてランキング2位を得たガードナーは、鈴鹿8耐ではドミニク・サロンと組んで独走優勝。連勝で自身鈴鹿8耐2勝目を記録します。

画像: 2位に2周差をつける197周で独走優勝したガードナー。マシンはホンダRVF750です。 オートバイ/モーターマガジン社

2位に2周差をつける197周で独走優勝したガードナー。マシンはホンダRVF750です。 オートバイ/モーターマガジン社

1992年、有終の美を優勝で飾る

1987年はGPチームのエースとして、ガードナーは世界ロードレースGPにのぞむことになります。期待に応えガードナーは7勝をマーク。3戦を除き全レースで表彰台を獲得する安定ぶりで、見事オーストラリア人初のGP最高峰王者になりました。

一方鈴鹿8耐では1987〜1990年の間、予選では1、2、1、1番グリッドを得るものの、リタイア続きで結果を残すことができずにいました。GPでも1988年は4勝するものの、惜しくもタイトルをライバルのエディー・ローソン(ヤマハ)に奪われランキング2位でタイトル防衛に失敗。1989年以降は大怪我の影響で精彩を欠き、進境著しいウェイン・レイニー(ヤマハ)、ケビン・シュワンツ(スズキ)、そして同郷のミック・ドゥーハン(ホンダ)に遅れをとるレースが目立つようになりました。

1991年のGPではついに未勝利でシーズンを終えることになりますが、鈴鹿8耐では久々の勝利をマークしました。この大会は決勝前日から雨が降り続け、午後2時過ぎには「ライトオン」のサインが提示される暗い雨の鈴鹿8耐になりました。ドゥーハンと組んでポールを得たガードナーは、ベテランらしい安定したハイペースをキープ。脱落するライバルを尻目に首位に立ち、自身3度目の優勝を手中におさめました。

画像: 145周目、ケビン・マギー(ヤマハ)の転倒で首位に立ったガードナー/ドゥーハン組は、そのまま優勝。1989年から最強ペアと呼ばれながら勝てなかったガードナー/ドゥーハン組は、ついに1991年に表彰台の頂点に立ちました。 オートバイ/モーターマガジン社

145周目、ケビン・マギー(ヤマハ)の転倒で首位に立ったガードナー/ドゥーハン組は、そのまま優勝。1989年から最強ペアと呼ばれながら勝てなかったガードナー/ドゥーハン組は、ついに1991年に表彰台の頂点に立ちました。 オートバイ/モーターマガジン社

翌1992年は、今年限りで鈴鹿8耐は最後と公表してガードナーは参戦。怪我のドゥーハンの代役として起用されたダリル・ビーティーとともにホンダRVF750を走らせ、見事優勝で有終の美を飾りました。

画像: ガードナーの鈴鹿8耐での4勝は、すべてホンダのワークスマシン、RVF750に乗って記録したものです。 オートバイ/モーターマガジン社

ガードナーの鈴鹿8耐での4勝は、すべてホンダのワークスマシン、RVF750に乗って記録したものです。 オートバイ/モーターマガジン社

1992年シーズンのイギリスGP前にガードナーは引退を発表。そしてそのレースでも久々の優勝を記録しています。2輪のキャリアを終えてからは、すぐに4輪のモータースポーツ活動を開始。2002年まで活動しましたが、残念ながらこの分野では王者になることはかないませんでした。

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