©︎オートバイ/モーターマガジン社
今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。そんなマルチ-タイム・ウィナーを紹介する当連載も今回が最終回。ご紹介するのは、5勝という最多優勝記録を保持する宇川徹です!

1994年の鈴鹿8耐では大怪我を負う!

1973年、千葉県に生まれた宇川は、小学校4年生だった10歳のころからポケバイをはじめました。他のことに全く興味なかった、と宇川が振り返るように当時はバイクに熱中していたそうです。1989年には名門のテクニカルスポーツ九州(現チーム高武)に加入し、ロードレースにデビュー。その年の九州選手権SP250チャンピオンに輝きました。

翌1990年、17歳だった宇川は若手ライダーの登竜門、鈴鹿4耐にて柳川明選手とペアを組んで優勝。1991年には国内A級全日本250ccチャンピオンになり、1992年には国際A級昇格とともにホンダワークスに入り、その将来を嘱望されることになります。

周囲の期待に応えるように、宇川は1993年、1994年の全日本250ccチャンピオンタイトルを連覇。また1994年に初出場した世界ロードレース選手権日本GPでは表彰台獲得と、順調にエリートライダーとしての実績を積み重ねていきます。

しかし、1994年に岡田忠之と組んで、チームHRCから出場した鈴鹿8耐では、初といえる大きな挫折を味わうことになります。この年の鈴鹿8耐は赤旗中断で初の2ヒート制となりましたが、それは宇川らが絡む事故に起因しています。決勝スタート30分後の11週目、宇川は不幸にも200Rの出口で他車から漏れ出たオイルにより転倒。宇川は首の骨を折る重傷で、この年の後半を棒に振る結果になってしまったのです。

翌1995年はチームHRCから武石伸也と組んで出場。予選は2位ながら決勝はリタイアでした。1996年からは世界ロードレース選手権250ccクラスにフル参戦を開始。この年はミゲール・デュハメルと組んで鈴鹿8耐に出場し、初完走となる8位のリザルトを残しました。

1997年と1998年に、子供の頃から憧れていた鈴鹿8耐で宇川はついに優勝します。パートナーはともに伊藤真一で、最初の年は雨、次の年は晴れと異なるコンディションで得た連覇は、同一ライダーのペアでは初という偉業でもありました。

画像: 1998年、伊藤真一とラッキーストライクホンダのRVF/RC45に乗った宇川は、序盤からレース展開をリード。ライバルたちのアタックを退け、見事2年連続同一ペア優勝を記録しました。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

1998年、伊藤真一とラッキーストライクホンダのRVF/RC45に乗った宇川は、序盤からレース展開をリード。ライバルたちのアタックを退け、見事2年連続同一ペア優勝を記録しました。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

前人未到の鈴鹿8耐5勝目を記録!

3連覇を狙った1999年は、ポールポジションからのスタートと快挙達成に視界良好と思えましたが、相棒の伊藤がトップ争いをしていた13週目にクラッシュし、その夢は潰えました・・・。しかし2000年は、加藤大治郎と組んで見事自身3度目の優勝を記録。アクシデントによりペースカーが導入されたのち、再スタートで一気にスパートをかけてトップに立った、宇川の走りが光ったレースでした。

画像: 2000年、加藤大治郎にライダー交代する宇川。マシンはこの年からホンダの主戦機となった、VTR1000SPWです。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

2000年、加藤大治郎にライダー交代する宇川。マシンはこの年からホンダの主戦機となった、VTR1000SPWです。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

加藤大治郎と連覇を狙った2001年は、同門のバレンティーノ・ロッシ/コーリン・エドワーズ組、岡田忠之/アレックス・バロス組と同一周回の217周を走りながら惜しくも4位と表彰台を逃します。

宇川がワイン・ガードナーの4勝という記録に並び、そして追い越したのは2004、2005年の大会でした。セブンスターホンダで井筒仁康と組んでVTR1000SPWで出場した2003年はリタイアという結果に終わりましたが、翌2004年は井筒とCBR1000RRWで昨年の雪辱を優勝で晴らしています。

画像: 210周で、見事鈴鹿8耐4勝目を記録した宇川とホンダCBR1000RRW。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

210周で、見事鈴鹿8耐4勝目を記録した宇川とホンダCBR1000RRW。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

2005年は、セブンスターホンダで清成龍一と組んで出場。決勝スタート1時間半後の午後1時ころ、大粒の雨が降り出した影響で波乱のレース展開となりましたが、宇川/清成組はどのチームよりも速いラップタイムを刻み続け、盤石のレース運びを披露します。

そして最終的には2位に4周という大差をつけて独走優勝! 宇川はついに、長年守られてきたW.ガードナーの記録を破る、鈴鹿8耐通算5勝の偉業を達成しました。

2005年、表彰台の中央に立つ宇川/清成組。 

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2006年に現役を引退した宇川ですが、その後はホンダの社員となりMotoGPマシンや市販車開発を担当したり、HRCで若手ライダーの育成を担っています。2017年3月の「2017 モータースポーツファン感謝デー」では、加藤大治郎とともに勝利したときのマシン、VTR1000SPWでのデモ走行を披露。10年ぶりとなる鈴鹿サーキット走行の勇姿で、多くのファンを喜ばせています。

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