1994年以降、鈴鹿8耐はスーパーバイクのルールに準じて行われています。この連載は1998年に成立したSBK(世界スーパーバイク選手権)のタイトル保持者で、鈴鹿8耐を制覇したグレートライダーを紹介していきます。今回は"テキサス・トルネード"の愛称を持つ、C.エドワーズを紹介します!

ヤマハ時代に8耐最年少コンビ優勝記録を樹立!

1974年、テキサス州ヒューストンに生まれたエドワーズはアメリカのWERA & CCS で活躍したのち、1992年にAMA250ccを走るようになります。1993年と1994年は当時ヤマハ系チームのバンス&ハインズからAMAスーパーバイクに出場。それぞれ年間6位と5位を獲得しました。

1995年から1997年はヤマハファクトリーのSBKチームに抜擢されますが、前年ながら3年間未勝利でランキングは11位、5位、12位と振るわない内容でした。しかし1996年はヤマハの国内エース、芳賀紀行とペアを組み、見事優勝を成し遂げています。

1996年鈴鹿8耐でヤマハYZF750に乗るC.エドワーズ。チームメイトの芳賀紀行とともに史上最年少の8耐優勝記録を打ち立てました。なおエドワーズは、前年の鈴鹿8耐では永井康友とペアを組み、5位を記録しています(YZF750SP)。

race.yamaha-motor.co.jp

ホンダではSBK2冠と鈴鹿8耐2勝を記録!

1998年にエドワーズは長年慣れ親しんだヤマハを離れ、ホンダのSBKファクトリーチームであるカストロールホンダに移籍。RVF/RC45を駆り第3戦イタリアでダブルウィンを記録し、SBK初勝利をついに達成します。

翌1999年は年間5勝を記録しランキング2位に躍進。そして2000年はホンダが打倒ドゥカティのために新開発した1,000ccVツインモデル、VTR1000SPWを駆り8勝をあげ初のSBKタイトルを獲得しました。

SBK用ホンダVTR1000SPWを駆るC.エドワーズ。

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翌2001年はSBKタイトル防衛に失敗しランキング2位に甘んじますが、バレンティーノ・ロッシ/鎌田学(走行せず)と組んだ同年の鈴鹿8耐には見事自身2度目の勝利を記録。そして2002年はSBKタイトルを奪回するとともに、加藤大治郎とペアを組んだ鈴鹿8耐では自身3度目の優勝を連勝で飾りました。

画像: 2001年、V.ロッシと組んで2度目の挑戦となった鈴鹿8耐で、見事前年リタイアのリベンジとなる優勝をマークしたC.エドワーズの走り。 ©︎モビリティランド/鈴鹿サーキット

2001年、V.ロッシと組んで2度目の挑戦となった鈴鹿8耐で、見事前年リタイアのリベンジとなる優勝をマークしたC.エドワーズの走り。 ©︎モビリティランド/鈴鹿サーキット

VTR1000SPWで最も輝いたライダーであるエドワーズは2003年からMotoGPにステップアップしますが、12年間の活動で終ぞ優勝を記録することはできませんでした。表彰台12回、ポールポジションとファステストラップがそれぞれ3回・・・が彼のMotoGPで残した記録でした。

現在エドワーズは、「テキサス・トルネード・ブート・キャンプ」というダートトラック主体のスクールを主宰しています。屋根付きの全天候ショートトラックを備える20エーカー(81,000㎡)の敷地で、濃密なトレーニングを受けることができる彼のブート・キャンプは、高い評価を受けています(ガン・シューティング!! も楽しめます)。

彼の指導に興味のある方は、ぜひ「テキサス・トルネード・ブート・キャンプ」の公式サイトをチェックしてみてください!

画像1: Texas Tornado Boot Camp vimeo.com

Texas Tornado Boot Camp

vimeo.com
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