"コカ·コーラ"鈴鹿8耐は2017年に第40回記念大会を迎えます。そこで第1回大会からの歴代優勝マシンを一挙紹介!今回はあのバレンティーノ・ロッシが、鈴鹿8耐初優勝を達成したときのマシンでもあるホンダVTR1000SPWです!

750ccV4に代り、主戦となった1,000ccVツイン!

1994年からホンダのワークス・スーパーバイクマシンとして投入されたRVF/RC45は、鈴鹿8耐では5度の優勝をするなど大活躍しました。しかしSBK(世界スーパーバイク選手権)では、レギュレーションで4気筒より大きい排気量が許されていた、Vツインのドゥカティを相手に苦戦します。1997年にジョン・コシンスキーがRVF/RC45にタイトルをもたらしましたが、これが唯一のタイトル・・・でもあります。

当時のSBKルールでは、4気筒750ccより2気筒1,000ccのほうが、出力・車重ともに有利であり、プライベーターにとっても構成部品の少ない2気筒はメリットになるだろう・・・という判断から、ホンダはドゥカティと同じ1,000ccVツインのワークスマシン、VTR1000SPWを2000年シーズンから投入します。

量産車のVTR1000SP-1をベース・・・とする、と語られることの多いホンダVTR1000SPWですが、正確にはHRCがレーシングモデルをまず開発し、それをベースに朝霞研究所が公道用モデルを開発・・・という手順で作業は進みました。つまり最初に作り上げられたのがワークスマシンのVTR1000SPWであり、このVツインがレースで勝つことを主目的にしていることが、その生い立ちからもわかります。 オートバイ/モーターマガジン社

2000年(第23回大会)FIM 世界耐久選手権シリーズ第4戦 "コカ·コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレースを走るホンダVTR1000SPW。エースゼッケン11をつけたバレンティーノ・ロッシ/コーリン・エドワーズ組が、ふたりとも転倒を喫してリタイア。しかし宇川徹、加藤大治郎が見事優勝して、VTR1000SPWの鈴鹿8耐1勝目をゲットしています。

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2001年の鈴鹿8耐用ホンダVTR1000SPW。SBK用などスプリント仕様からの変更点は、24リットル燃料タンクを搭載するため、シートレールが切り詰められている・・・などなど。サスペンションはショーワ製。ブレーキはブレンボ製を採用。改良型のアクラポビッチ製マフラーなどの効果で、最高出力は180馬力以上をマークしていました。 オートバイ/モーターマガジン社

デビュー1年目にして、VTR1000SP-1はC.エドワーズによりSBKのタイトルをドゥカティから奪取に成功。鈴鹿8耐も見事にVTR1000SPWに乗る宇川/加藤組が優勝と、ワークスマシンのVツインへのスイッチが正解だったことを証明しました。SBKのライバルであるドゥカティVツインが実質スプリント専用なのに対し、VTR系は過酷な鈴鹿8耐をノートラブルで走りきる耐久性を備えているのが特徴でした。

2001年(第24回大会)FIM 世界耐久選手権シリーズ第6戦 "コカ·コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレースでVTR1000SPWを走らせるV.ロッシ。2000年に続き、ホンダはロッシとエドワーズをエースに据えて挑戦。見事に悲願の優勝を達成。2000年には215周、2001年には217周を走破しており、最多周回数も2年連続で更新しています。

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