今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は初代「Mr.8耐」と言えるワイン・ガードナーを紹介します!

モリワキでスターダムへの階段を上りだす!

世界ロードレースGP500ccクラスで、1987年のチャンピオンに輝いたガードナーは、鈴鹿8耐で飛躍のきっかけを掴んだライダーのひとり、と言えるでしょう。1981年(第4回大会)で、モリワキのライダーとして起用されたガードナーは、なんと前年のポールポジションタイムを3秒近く上回る、2分14秒76という驚異的なタイムを叩き出します。

1981年、当時一部のワークスマシンにしか使われていなかったアルミフレームを採用する、モリワキモンスター(エンジンはカワサキZ1000)でセンセーショナルな予選タイムを叩き出したガードナー。 オートバイ/モーターマガジン社

ワイン・ガードナー/ジョン・ペイス組は、決勝はキック始動に手間取り、大きく出遅れてしまいました。しかしガードナー/ペイス組はハイペースで首位を猛追し、ついにトップに浮上します! しかし、その矢先のスプーンカーブでガードナーは転倒を喫し、60周でリタイアを強いられました。

この活躍を機に、ホンダUKでロードレース活動をするようになったガードナーは、1983年ダッチTTで世界ロードレースGPデビューを果たすなど着々とキャリアを積み上げます。1984年(第7回大会)ではレイモン・ロッシュと組み、ホンダRS750Rで鈴鹿8耐にエントリー。予選では1981年に続きポールポジションを獲得しますが、ロッシュの転倒によりリタイアという結果に終わります。

鈴鹿8耐初優勝は1985年!

1985年(第8回大会)は、ヤマハが初めて鈴鹿8耐にワークス参戦した年ですが、資生堂TECH21チームのケニー・ロバーツ&平忠彦組を相手に、RVF750を駆るガードナー/徳野正樹組は苦戦を強いられます。38周目にはトップの座をTECH21チームに奪われ、その後も独走を許してしまいました。

しかし、諦めずハイペースを保った結果、残り30分を切ったところで平が乗るFZR750がエンジンブロー。逆転でガードナー/徳野組は、RVF750の初優勝を手中におさめたのです。

最後の2スティントを連続走行し、見事鈴鹿8耐初優勝したガードナー/徳野組。 オートバイ/モーターマガジン社

翌1986年の第9回大会も、ドミニク・サロンと組みホンダRVFでガードナーは連覇を達成。しかし、1987〜1990年はホンダワークスのエースチームに擁立されるものの、すべてリタイアという結果に終わりました。

ミック・ドゥーハンと組んで鈴鹿8耐参戦3年目の1991年(第14回大会)は、ついに8耐制覇を達成。鈴鹿8耐引退を表明してのぞんだ1992年(第15回大会)は、ドゥーハンの負傷により代役参戦したダリル・ビーティーと組んで優勝。ガードナーの8耐4勝の記録は、2005年(第28回大会)に宇川徹に更新されるまで、鈴鹿8耐の最多勝記録として歴史に刻まれました。

同郷のM.ドゥーハンと組んだチームは、優勝最有力のドリームチームと目されていましたが、優勝というリザルトを残したのはコンビ結成3年目の1991年大会でした。マシンはホンダRVF750です。 オートバイ/モーターマガジン社

ガードナー含め、現在鈴鹿8耐で4勝以上したライダーは計4名いますが、最もファクトリーチームの争いが激しく、鈴鹿8耐の人気が高かった時代に、これだけの記録を残したガードナーこそがオールタイムでの「Mr.8耐」というファンは少なくありません。

1986年、ショーエイGALに囲まれ、おどけた表情を見せるW.ガードナー。 オートバイ/モーターマガジン社