今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回はヤマハで最高峰3連覇を果たした英雄、ウェイン・レイニーです!

初の鈴鹿8耐参戦で、見事優勝!

1988年は、4大ワークスが大激突した非常にコンペティティブな大会でした。ホンダはVFR750R(RC30)をベースにする新型ファクトリーマシンRVF750を6台も投入。ヤマハもファクトリーのYZF750が3台参戦。スズキはヨシムラと世界耐久選手権チームで計4台のGSX-R750を用意。そしてカワサキも4台のZXR-7を直轄のファクトリーチームと世界耐久選手権チームに託しました。

1990、1991、1992年にヤマハYZR500を駆り、大先輩のケニー・ロバーツ以来のグランプリ最高峰500ccクラス3連覇を達成したレイニーは、この年ケビン・マギーと組んで鈴鹿8耐に初参戦しました。予選ではポールポジションを獲得し、決勝では終盤にライトが点灯しないというトラブルに見舞われますが、それ以外は万全なレース運びで、見事に前年に続くヤマハの優勝を実現させました。

6時45分、ライト点灯のサインが出されても、マギー/レイニー組のYZF750はなかなかライトオンができずにいました。しかし、独走状態だった彼らにとっては大きなトラブルとはならず、無事優勝のチェッカーをうけています。

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ラッキーストライクカラーのヤマハYZF750に乗るレイニー。この年は決勝日に15万3,000人の観衆が鈴鹿サーキットに詰め掛け、鈴鹿8耐は当時世界最大規模のモーターサイクルイベントとなりました。

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1987年に続き、K.マギー(左)は8耐2連覇を達成。W.レイニー(中)とのコンビネーションもバッチリでした。右はチーム監督の、キングことK.ロバーツです。 オートバイ/モーターマガジン社

翌1989年は再びK.マギーとのコンビで予選2位を獲得。ヤマハの連覇の継続が期待されましたが、100周目にオイル漏れというトラブルでリタイアを強いられる結果になりました。この後レイニーはGPに専念するため鈴鹿8耐に出場しませんでしたが、もっとそのクレバーな走りを鈴鹿8耐でも見たかったライダーのひとりでした・・・。