今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は最高峰クラス5連覇を達成したオーストラリアの英雄、ミック・ドゥーハンです。

昔の名前で出てました?

ホンダNSR500を駆り、1994〜1998年の間に世界ロードレースGP500ccクラスのチャンピオンに輝いたミック・ドゥーハンですが、かつてその登録名は「マイケル・ドーハン」でした。そんなマイケル・ドーハンが初めて鈴鹿8耐に出場したのは、1987年大会。チームはネスカフェ・アメリカーナRTで、パートナーはロドニー・コックスです。

1987年大会で、ヤマハFZR750に乗るミック・ドゥーハン。予選は38位、決勝は70周でリタイアでした。

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1991年、ついに8耐制覇!

1988年は平忠彦と組んで、資生堂TECH21からヤマハYZF750でエントリー。予選は6位でしたが、決勝では残り10分というところでマシントラブル! チェッカーを受けることはできませんでしたが、9位というリザルトを残しています。

ドゥーハンにとってヤマハ時代最後の8耐は、1988年大会でした。

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1989年からホンダに移籍したドゥーハンは、当時のエースである同郷のワイン・ガードナーとペアを組んで、1989〜1991年の3年間、常に鈴鹿8耐のポールポジションをゲットする活躍をしています。しかし、1989年はドゥーハンが周回遅れと接触して転倒。1990年は101周目にヘアピンで痛恨のガス欠・・・と、ともにリタイアという結果に終わりました。

1991年は3度目の正直、とでも言いますか、雨が降ったりやんだりする難しいコンディションのなか、見事優勝をゲット。先輩のガードナーにチェッカーを受けさせるため、ピットインを余分にする余裕を見せての完勝でした。

ドゥーハン最後の8耐となった1993年大会、ホンダRVF750に乗るドゥーハン。

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1992年はガードナーと組んで出場の予定も、怪我のために欠場(代役はダリル・ビーティー)。そして1993年はダリル・ビーティーと組んでホンダのエースチームとして参戦。予選では見事ポールポジション獲得。しかし中盤で転倒を喫し、首位に1周遅れの4位に甘んじました。

ホンダ時代の4回の8耐で、すべてポールポジションをドゥーハンのチームは得ていますが、優勝は1回のみにとどまりました。速さだけでは勝てない・・・8耐の難しさを物語ってますね。