"コカ·コーラ"鈴鹿8耐の歴史のなかで、多くの人々の記憶のなかに残るマシンたちを紹介する連載。今回は特別編として、8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載をミックスしてお送りします!

カワサキワークスの復活!

1987年、カワサキはチームグリーンが消さないように守ったロードレース活動の松明を受け継ぎ、この年からワークス活動を再開させます。しかし再開といえど、その内容はライバル勢のようなフルワークス活動というよりは、セミワークスと呼べるレベルの体制でした。

鈴鹿8耐に参戦したマシンは、GPX750Rの並列4気筒エンジンを搭載するZXR-7。先にTT-F3(400cc)の実戦で高評価を得たアルミ合金フレームをTT-F1クラスにも導入したのが、ZXR-7の特徴でした。

1987年の大会は、グッドラック・チームグリーンからコーク・バリントン/ロバート・フィリス組と宗和孝宏/多田喜代一組が出場。なおバリントンは1978〜1979年の2年間のうち、世界ロードレースGPで250ccクラス、350ccクラスで4度タイトルを取ったカワサキのレジェンドライダーです。

1970年代、2ストローク・タンデムツインのレイアウトを持つカワサキKRに乗り、4つのタイトルを獲得した偉大な南アフリカ出身のチャンピオンであるコーク・バリントン(写真はKR250)。なお彼の本名はヒュー・ネビル・バリントンですが、幼い頃にコルクのように軽い・・・ということで、コークというあだ名がつけられました。

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この年は残念ながら、ZXR-7のマシントラブルによりバリントン/フィリス組は110周でリタイアで終わりましたが、翌1988年はフルワークスと呼べる体制でロードレースに復活したチームカワサキで、バリントン/フィリス組、宗和孝宏/多田喜代一組ともにZXR-7で鈴鹿8耐に参戦しました。

1988年、ZXR-7を駆るK.バリントン。前年は4時間半で舞台から去ることになりましたが、見事リベンジして上位入賞を果たします。この年の鈴鹿8耐が、彼にとっての最後のメジャーレース参戦となりました。©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

鈴鹿8耐でバリントンの相棒として活躍したオーストラリア人ライダー、ロバート(ロブ)・フィリス。1980〜1990年代、カワサキのSBKライダーとしても活躍しました。1987年はチームグリーンの契約の関係でZXR-7にダンロップタイヤを装着しましたが、1988年はミシュランでした。©鈴鹿サーキット/(株)モビリティランド

ワークス体制初年度にもかかわらず、この年チームカワサキはバリントン/フィリス組が6位、宗和/多田組が5位に入賞! そして世界耐久選手権を戦うチームカワサキ・フランスのピエール・サミン/アドリアン・モリラスが3位表彰台を獲得するなど、ZXR-7の実力を証明しました。

そしてカワサキのロードレースワークス活動黄金期を担ったバリントンは、ワークス復活期の鈴鹿8耐でチームに多大な貢献をし、引退することになりました。カワサキファンにとっては、この年の8耐は忘れることのできない1戦・・・に他ならないでしょう。