今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。第1回目は、黎明期の8耐で2勝したウェス・クーリーです!

ヨシムラのライダーとして、鈴鹿8耐を2度制覇!

1956年にロサンゼルスに生まれたクーリーは、父の運営する南カリフォルニアのクラブ・レーシングでロードレースを学びました。彼の才能を見抜いたPOP吉村(秀雄)はクーリーを、新たにスタートするAMAプロダクションクラスのライダーに起用することになります。

1977年にクーリーはカワサキKZ1000でAMA初勝利を記録しますが、彼の才能が本格的に開花したのはヨシムラが1978年シーズンにマシンをスズキGS1000にスイッチしてからでした。クーリーは翌1979年、そして1980年にAMAスーパーバイクのタイトルをヨシムラにもたらすことに成功します。

AMAスーパーバイクで、ヨシムラのスズキGS1000を駆るW.クーリー。後に世界ロードレースGP500ccクラス王者となるエディ・ローソンやフレディ・スペンサーを破ってのAMAタイトル獲得は、非常に価値のあるものです。

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1978年、最初の鈴鹿8耐でクーリーはマイク・ボールドウィンを組んで、ヨシムラのGS1000で出場します。当時、ロードレースの世界ではパット・ヘネンやケニー・ロバーツが頭角を現してきてはいましたが、アメリカ人ライダーの実力がどれほどのものか、正しく知る者は少数派でした。

ホンダのワークスマシンであるRCBほか、当時の耐久レーサーはクリップオンのハンドルが当たり前でしたが、ヨシムラのGS1000はAMAスーパーバイクスタイルのアップハンドル・・・。下馬評では、欧州の耐久選手権を圧倒的に支配していたホンダワークスが、当たり前のように勝つだろうと言われていました。

1978年、ヨシムラのGS1000で勝利に邁進するW.クーリー。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

しかし、そんな評判を覆し、クーリーとボールドウィンの若きアメリカンライダーコンビは、見事優勝します。その後クーリーはヨシムラライダーとして、1982年まで毎年鈴鹿8耐に参戦していますが1980年にはグレーム・クロスビーと組んで自身2度目の8耐優勝を達成しています。

今年の夏、貴方もクーリーに会える!

1985年のレース中に負った怪我の影響で、クーリーはレーシングキャリアを終えることになります。その後数年、彼はレーシングスクールのインストラクターを務めますが、1985年の怪我の治療中をしているときすでに、医療の世界で生きて行くことを決意していました。

引退後、看護の学位を取得したクーリーは医療の仕事に従事するようになります。そして2004年にAMAの殿堂入りを果たしたクーリーは、2016年はミッド・オハイオのイベントで1980年のGS1000に乗り、久々に走る姿を披露することで多くのファンを喜ばせています。

既報ですが、今年の第40回記念大会の鈴鹿8耐には、クーリーが来場することが決定しています。日本最大のロードレースイベントとなった鈴鹿8耐の、初期のレジェンドライダーであるクーリーに会いに、ぜひみなさんも行きましょう!

AMA Motorcycle Hall of Famer Wes Cooley

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