今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。今回は有名な父を持つライダー、レオン・ハスラムです!

レース一家に生まれたサラブレッド!

1983年、英国ダービーシャーに生まれたレオンの父は、世界ロードレースGPなどで長年活躍した「ロケット・ロン」ことロン・ハスラムです。父のロンもレース一家の生まれで、レオンも父同様にサーキットを巡る暮らしを宿命づけられていた・・・と言えるでしょう。

幼い頃からオートバイに親しんだ彼は、1998年に英国選手権125ccクラスで7位に入り、同年ワイルドカードでイギリスGPに出場(125ccクラス17位)。世界ロードレースGPデビューを果たしました。

2000〜2002年の3年間は、世界ロードレースGPの125cc、500cc、そして250ccにそれぞれ参戦しますが、目立った成績を残すことができずに2003年からはBSB(英国スーパーバイク選手権)を主戦場に移すことになります。2004年はSBK(世界スーパーバイク世界選手権)を戦いますが、2005年からは再びBSBへ。2008年までの間、毎年タイトル争いをする活躍をみせました。

2009年から2015年まではSBK、そして2016年以降はBSBでカワサキライダーとして参戦中のレオンですが、SBK、BSBともにチャンピオン争いに加わりながらも、未だノンタイトルという結果に終わっています。すっかりベテランとなったレオンですが、ぜひ経験を活かして初メジャータイトルを獲得してほしいですね。

今年のSBKドニントンを走るL.ハスラム。主戦場のBSBでは、チームメイトのルーク・モッシーに次ぐランキング2位につけています。

www.leonhaslam.com

鈴鹿8耐ではホンダライダーとして2勝を記録

レオンが鈴鹿8耐に初参戦したのは2008年。パートナーは亀谷長純でチームは桜井ホンダでした。この時の結果は9位でしたが、その後しばらく彼が8耐に登場することはありませんでした。

久々となる8耐参戦は2013年。MuSASHi RT ハルクプロの一員として高橋巧とマイケル・ファン・デル・マークと組んでの出場でした。しかし、彼はその年のSBK第3戦オランダで負傷。その傷が癒えぬままSBK参戦を続けるという、万全の体調ではないままでの鈴鹿8耐挑戦でもありました。

鈴鹿8耐のSBKロシアラウンドでも転倒したレオンでしたが、8耐ではきっちりと自分の仕事をこなしチームを優勝に導きました。父ロンもかつて、1979年の鈴鹿8耐でホンダ・チーム・ブリテンから出場し2位表彰台を得ていますが、レオンは8耐に関しては父越えを果たしたわけです。

2014年の鈴鹿8耐、MuSASHi RT ハルクプロのメンバーとしてCBR1000RRを駆るL.ハスラム。

www.honda.co.jp

翌2014年も、同じメンバーでMuSASHi RT ハルクプロから鈴鹿8耐に参加したレオンは、見事同一チーム・同一メンバーでの連覇を達成しました。そして2015年にはチームグリーンのライダーとしてカワサキZX-10Rで8耐に参戦。柳川明、渡辺一樹とともに、2位表彰台獲得に貢献しています。

3勝目を期待されますが、怪我の回復が気になります・・・

今年の第40回記念大会でも、カワサキチームグリーンの一員として鈴鹿8耐に参戦することが発表されているレオンですが、BSBのノックヒルでハイサイドを起こし転倒。首の後ろの骨に少し亀裂があるものの、今月末のBSBスネッタートンには復帰!するつもりとのことです・・・。

この怪我の影響が鈴鹿8耐に響かないといいのですが・・・。カワサキ久々の8耐優勝を祈るファンは気がかりですね。ともあれ今年の8耐を盛り上げていただくべく、早期の怪我からの回復を願います!