1994年以降、鈴鹿8耐はスーパーバイクのルールに準じて行われています。この連載は1998年に成立したSBK(世界スーパーバイク選手権)のタイトル保持者で、鈴鹿8耐を制覇したグレートライダーを紹介していきます。今回はAMA殿堂入りを2001年に果たしている、F.マーケルです!

3度AMAスーパーバイクを制覇したエリート・ライダー!

1962年カリフォルニア生まれのマーケルは、アメリカンライダーらしくダートトラックを経て、順調にキャリアを積み重ねていったライダーと言えるでしょう。

1981年、マーケルは250ccのGPバイクに乗り、AMA年間ノービス3位を獲得。翌1982年は同じく250ccカテゴリーのエキスパートクラスで年間2位となっています。当時多く存在したヤマハTZ250に乗るヤングライダーの中でも際立った存在だったマーケルに、ホンダは注目し彼を1983年のAMAスーパーバイククラスに起用しました。

1983年シーズン、AMAスーパーバイクのルーキーとしてホンダVF750Fに乗るF.マーケル。

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1983年に第3戦(リバーサイド)で彼はスーパーバイク初の表彰台(3位)を獲得。その3ヶ月後のポートランドではAMAキャリア通算20勝の最初のひとつとなる優勝を成し遂げました。

ルーキーシーズンで年間3位となったマーケルは、翌1984年に初のAMAスーパーバイクタイトルを獲得。そして1986年まで、3年連続タイトル獲得に成功。1988年には、TT-F1カテゴリーよりも市販車状態に近い車両で行われるスーパーバイクの理念を取り入れたSBK=世界スーパーバイク選手権が成立しますが、マーケルはその前年の1987年から活動の場を欧州に移し、SBK初年度からフル参戦を開始します。

かつてイタリアのバイクメーカーとして著名な、「ルミ」のチームのホンダVFR750R(RC30)でSBKを走るF.マーケル。

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1988年、年間9戦で1ラウンド2レースだった初年度のSBKで、マーケルは2勝をマークして初代SBK王者となります。そして1989年は全11戦で3勝を記録し、見事連覇を達成しています。

ホンダV4に乗り、鈴鹿8耐で優勝!

1983年、マーケルはジョン・ベタンコートと組んで鈴鹿8耐に参戦しています。その時に乗ったのはホンダの水冷V4マシン、RS850でした。当時はまだ1,000ccのTT-F1規定でしたので、排気量の小さいRS850はライバルの1,000ccマシンに対して不利ではありました。

しかしホンダはその翌年の1984年からTT-F1の排気量規定が750ccに下げられることを考慮し、この年から実績ある空冷並列4気筒のRS1000に代わる主戦モデルとして、RS850を有力ライダーたちに託したのです。

この年、マーケル/ベタンコート組はフルサイズ1,000ccのライバル相手に奮闘。見事3位表彰台を獲得しています。

1984年、マーケルはマイク・ボールドウィンと組んで水冷V4のホンダRS750で参戦。見事鈴鹿8耐制覇を果たしました!

そして750ccルール初年度の1984年、ホンダは5台のRS750を鈴鹿8耐に投入。本命チームはポールポジションを獲得したレイモン・ロッシュ/ワイン・ガードナー組でしたが、115周目にロッシュの転倒で万事休す。代わって勝利の担い手になったのはマイク・ボールドウィン/マーケル組でした。そして2、3位にもRS750が入り、ホンダは表彰台独占の大勝利を成し遂げています。

なおマーケルは、大島正と組みホンダRVF750で1986年の鈴鹿8耐にも参戦してますが、この時は56周リタイアという結果に終わっています。

表彰台中央に立つF.マーケル。両手を上げているのが、パートナーのM.ボールドウィンです。

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SBKでは1991年を最後にホンダを離脱。ヤマハとドゥカティで1993年まで活動しますが、ホンダ時代ほどの輝きをマーケルが見せることはありませんでした。1994年からマーケルはアメリカに戻りカワサキ、そしてスズキのマシンでレースに参戦していますが、1995年にアリゾナでのレースで負った怪我が原因でライダーから引退することになります。その後マーケルは家族とともにニュージーランドに移住。現地で会社経営者として活躍しています。