"コカ・コーラ鈴鹿8耐"で連覇を続けるヤマハ・ファクトリー・レーシング・チーム! なんと今年は往年のカラーリングである、TECH 21カラーで登場することが発表されました! そして、ヤマハの鈴鹿8耐の戦いを振り返るムービーも公開! 必見です!!!!!

ケニー、平、サロン、ドゥーハン、ローソン、マギー、ウィマー、コシンスキー・・・!

同一チーム5連覇! という大記録を目指すヤマハは、2019年7月25〜28日に鈴鹿サーキットで開催される“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース に「ヤマハ・ファクトリー・レーシング・チーム」を参戦させます。そして2018-2019年シーズンのFIM EWC(世界耐久選手権)にレギュラー参戦し、チャンピオンを目指している「YARTヤマハ オフィシャル EWC チーム」が出場することを発表しました。

なんと、ファクトリーの21号車は、「21」の由来でもある資生堂TECH 21カラーで参戦! 同ブランドは廃盤になって久しく、今回復刻するワケではありません。スポンサーカラーというワケではなく、メモリアルカラーとしてのTECH 21カラーということみたいです。

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ヤマハが公式に鈴鹿8耐にファクトリー参戦を開始したのは1985年・・・FZR750を、K.ロバーツ/平忠彦組に託しました。

残り30分・・・首位を走りながらエンジンブロー・・・。このドラマが1980年代の鈴鹿8耐人気を猛烈に加速させることになりました。オートバイ/モーターマガジン社

1986年は、平忠彦/C.サロンが参戦するものの、リタイアに終わりました。

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1987年は、鈴鹿8耐直前にパートナーの平忠彦が負傷したため、急遽世界ロードレースGP250ccクラスを走るマーチン・ウィマーがケビン・マギー(写真)と組むことに! 本命のワイン・ガードナー/ドミニク・サロン組(ゼッケン1)のサロンが転倒でリタイア。そしてレース終了間際に、首位のヨシムラが転倒してことでトップに浮上。そのままチェッカーを受けて、見事ヤマハの鈴鹿8耐初優勝を達成しました! オートバイ/モーターマガジン社

1988年は平忠彦/M.ドゥーハン組が、資生堂TECH21からヤマハYZF750でエントリー。予選は6位でしたが、決勝では残り10分というところでマシントラブル! チェッカーを受けることはできませんでしたが、9位というリザルトを残しています。オートバイ/モーターマガジン社

1989年は平忠彦/J.コシンスキー組で参戦! トップのD.サロン/A.ビエラ組のホンダを追うものの、マシントラブルでリタイア(45位)に終わりました・・・。

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1990年は平忠彦/E.ローソン組で挑戦! 当時平は「今までのペアの中で最も相性の良いライダー。ローソンのおかげです」と、自らの鈴鹿8耐初制覇を助けたローソンに感謝を述べていました。オートバイ/モーターマガジン社

鈴鹿8耐が最も「アツい」時代を駆け抜けた「TECH 21カラー」を身にまとったヤマハ・ファクトリー・レーシング・チームのYZF-R1は、昨年同様JSB1000で活躍する中須賀克行と、SBK(世界スーパーバイク選手権)を戦うアレックス・ローズとマイケル・ファン・デル・マークの3人が組んで出場します! またYARTは、レギュラーのブロック・パークス、マービン・フリッツ、ニッコロ・カネパの3人が出場します。

ヤマハの鈴鹿8耐の歴史を、動画で追体験しましょう!

こちらに紹介する動画は、TECH 21カラーのFZR750/YZF750か活躍した1985〜1990年、そして近年の4連覇期(2015〜2018年)のヒストリーを振り返る内容の4分50秒の動画です。懐かしく、かつ貴重なシーンのてんこ盛りなので、ぜひ皆さんもご視聴ください!

ヤマハ鈴鹿8耐 1985-1990/2015-2018ヒストリー

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