3度AMAスーパーバイクを制覇したエリート・ライダー!
1962年カリフォルニア生まれのマーケルは、アメリカンライダーらしくダートトラックを経て、順調にキャリアを積み重ねていったライダーと言えるでしょう。
1981年、マーケルは250ccのGPバイクに乗り、AMA年間ノービス3位を獲得。翌1982年は同じく250ccカテゴリーのエキスパートクラスで年間2位となっています。当時多く存在したヤマハTZ250に乗るヤングライダーの中でも際立った存在だったマーケルに、ホンダは注目し彼を1983年のAMAスーパーバイククラスに起用しました。
1983年に第3戦(リバーサイド)で彼はスーパーバイク初の表彰台(3位)を獲得。その3ヶ月後のポートランドではAMAキャリア通算20勝の最初のひとつとなる優勝を成し遂げました。
ルーキーシーズンで年間3位となったマーケルは、翌1984年に初のAMAスーパーバイクタイトルを獲得。そして1986年まで、3年連続タイトル獲得に成功。1988年には、TT-F1カテゴリーよりも市販車状態に近い車両で行われるスーパーバイクの理念を取り入れたSBK=世界スーパーバイク選手権が成立しますが、マーケルはその前年の1987年から活動の場を欧州に移し、SBK初年度からフル参戦を開始します。
1988年、年間9戦で1ラウンド2レースだった初年度のSBKで、マーケルは2勝をマークして初代SBK王者となります。そして1989年は全11戦で3勝を記録し、見事連覇を達成しています。
ホンダV4に乗り、鈴鹿8耐で優勝!
1983年、マーケルはジョン・ベタンコートと組んで鈴鹿8耐に参戦しています。その時に乗ったのはホンダの水冷V4マシン、RS850でした。当時はまだ1,000ccのTT-F1規定でしたので、排気量の小さいRS850はライバルの1,000ccマシンに対して不利ではありました。
しかしホンダはその翌年の1984年からTT-F1の排気量規定が750ccに下げられることを考慮し、この年から実績ある空冷並列4気筒のRS1000に代わる主戦モデルとして、RS850を有力ライダーたちに託したのです。
この年、マーケル/ベタンコート組はフルサイズ1,000ccのライバル相手に奮闘。見事3位表彰台を獲得しています。
そして750ccルール初年度の1984年、ホンダは5台のRS750を鈴鹿8耐に投入。本命チームはポールポジションを獲得したレイモン・ロッシュ/ワイン・ガードナー組でしたが、115周目にロッシュの転倒で万事休す。代わって勝利の担い手になったのはマイク・ボールドウィン/マーケル組でした。そして2、3位にもRS750が入り、ホンダは表彰台独占の大勝利を成し遂げています。
なおマーケルは、大島正と組みホンダRVF750で1986年の鈴鹿8耐にも参戦してますが、この時は56周リタイアという結果に終わっています。
SBKでは1991年を最後にホンダを離脱。ヤマハとドゥカティで1993年まで活動しますが、ホンダ時代ほどの輝きをマーケルが見せることはありませんでした。1994年からマーケルはアメリカに戻りカワサキ、そしてスズキのマシンでレースに参戦していますが、1995年にアリゾナでのレースで負った怪我が原因でライダーから引退することになります。その後マーケルは家族とともにニュージーランドに移住。現地で会社経営者として活躍しています。