今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載。今回は世界ロードレースGP250ccクラスと、世界スーパーバイク選手権の王者になったアメリカンライダー、ジョン・コシンスキーです!

鈴鹿8耐のベストリザルトは2位!

1988年から現在までのSBK(世界スーパーバイク選手権)の歴史のなかで、世界ロードレースGP(現MotoGP)とSBKの両方のタイトルを獲ったライダーは、2人しかいません。ひとりはイタリアの英雄マックス・ビアッジ。そしてもうひとりは、1990年に世界ロードレースGP250ccクラスをヤマハで制覇し、1997年にはSBKでホンダRVF/RC45で王者となったジョン・コシンスキーです。

ケニー・ロバーツの秘蔵っ子、と呼ばれたコシンスキーは1987年にチーム・ラッキーストライク・ロバーツから、カル・レイボーンを組みヤマハYZF750に乗りました。初の鈴鹿8耐で予選8位・決勝3位のリザルトを残し、非凡な才能を観衆に見せつけています。

画像: ライトオンでヤマハYZF750を走らせるJ.コシンスキー。 www.suzukacircuit.jp

ライトオンでヤマハYZF750を走らせるJ.コシンスキー。

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画像: 1987年の表彰台。3位の位置に立つコシンスキー(左)とカル・レイボーン。ふたりの体格差から、マシンのセッティングは大変だったのではないでしょうか・・・? www.suzukacircuit.jp

1987年の表彰台。3位の位置に立つコシンスキー(左)とカル・レイボーン。ふたりの体格差から、マシンのセッティングは大変だったのではないでしょうか・・・?

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1989年は平忠彦と組み、TECH21のヤマハYZF750に乗りましたが、予選は5位につけるものの、決勝は162周でリタイアという残念な結果となりました。

SBK王者となった1997年は、アレックス・バロスと組んでカストロール・ホンダのRVF750で出場。優勝の伊藤真一/宇川徹組と同一周回の2位という結果でした。コシンスキーは雨の影響かシールドが曇るというトラブルに見舞われ、レース序盤に2回もピットイン。そのため一時は57位までポジションを落としてしまいましたが、これがなければ結果は変わっていたかもしれません。

250cc王者になったのち、ヤマハYZR500に乗ったコシンスキーは、1991年と1992年の2年間で最高峰の2勝をゲットしています。1993年からは戦闘力の劣るイタリアのカジバに乗り、世界ロードレースGP500ccクラスで2勝!を獲得。そして同社に1994年にはランキング3位になっています。コシンスキーは紛れもない天才ライダーのひとりです。しかし、その才能が最高峰クラスでは、チャンピオン獲得というかたちで開花することがなかったのは、本当に残念なことでした。

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