鈴鹿8耐のベストリザルトは2位!
1988年から現在までのSBK(世界スーパーバイク選手権)の歴史のなかで、世界ロードレースGP(現MotoGP)とSBKの両方のタイトルを獲ったライダーは、2人しかいません。ひとりはイタリアの英雄マックス・ビアッジ。そしてもうひとりは、1990年に世界ロードレースGP250ccクラスをヤマハで制覇し、1997年にはSBKでホンダRVF/RC45で王者となったジョン・コシンスキーです。
ケニー・ロバーツの秘蔵っ子、と呼ばれたコシンスキーは1987年にチーム・ラッキーストライク・ロバーツから、カル・レイボーンを組みヤマハYZF750に乗りました。初の鈴鹿8耐で予選8位・決勝3位のリザルトを残し、非凡な才能を観衆に見せつけています。
1989年は平忠彦と組み、TECH21のヤマハYZF750に乗りましたが、予選は5位につけるものの、決勝は162周でリタイアという残念な結果となりました。
SBK王者となった1997年は、アレックス・バロスと組んでカストロール・ホンダのRVF750で出場。優勝の伊藤真一/宇川徹組と同一周回の2位という結果でした。コシンスキーは雨の影響かシールドが曇るというトラブルに見舞われ、レース序盤に2回もピットイン。そのため一時は57位までポジションを落としてしまいましたが、これがなければ結果は変わっていたかもしれません。
250cc王者になったのち、ヤマハYZR500に乗ったコシンスキーは、1991年と1992年の2年間で最高峰の2勝をゲットしています。1993年からは戦闘力の劣るイタリアのカジバに乗り、世界ロードレースGP500ccクラスで2勝!を獲得。そして同社に1994年にはランキング3位になっています。コシンスキーは紛れもない天才ライダーのひとりです。しかし、その才能が最高峰クラスでは、チャンピオン獲得というかたちで開花することがなかったのは、本当に残念なことでした。