今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。今回は、歴史上唯一の「鈴鹿8耐3連勝」を記録したレジェンド、アーロン・スライトを紹介します!

最初の勝利は、カワサキ唯一の鈴鹿8耐制覇に貢献!

1966年、ニュージーランド出身のスライトは、1991年にオーストラリアのスーパーバイク王者に輝き、1992年からSBK(世界スーパーバイク選手権)で長年活躍します。SBKのスポット参戦は1988年からスタート(ビモータ)。1989年から1993年まではカワサキ、1994年から2000年まではホンダのライダーとして参戦。通算13勝を含む表彰台獲得87回。そして8度のポールポジションと26回のファステストラップが彼のSBKで残した記録でした。

残念ながらスライトは、ランク2位が2回、ランク3位が3回と、SBKのタイトルに手がとどくことはなかったですが、鈴鹿8耐では1993〜1995年に3連覇を達成し、鈴鹿8耐の歴史で唯一3連覇を成し遂げたライダーとしてその名を歴史に刻むことになりました。

スライトが初めて鈴鹿8耐に参加したのは1991年。チーム ムービング カワサキからマイケル・ドーソンと組んでの出場でした(決勝6位)。翌1992年も同チームから、ロブ・フィリスとともに出場。昨年同様6位という成績を残しています。

鈴鹿8耐がTT-F1ルールで行われる最後の年となった1993年は、伊藤ハム レーシング カワサキからエントリー。パートナーとなったのは、1990年から1992年にかけてAMAスーパーバイクを3連覇し、1993年にはSBKフル参戦を開始したスコット・ラッセルでした(なおラッセルは、同年のSBKを参戦初年度で制覇します)。

画像: 1993年、予選3位からスタートしたラッセル/スライト組でしたが、ライバルの脱落にも助けられて見事207周を走り優勝しました。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1993年、予選3位からスタートしたラッセル/スライト組でしたが、ライバルの脱落にも助けられて見事207周を走り優勝しました。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

エースのラッセルを支えるかたちで、スライトは鈴鹿8耐を走りきり、見事カワサキ初の(そして現時点では唯一の)鈴鹿8耐優勝を成し遂げます。中盤以降、カワサキとマッチレースを展開したのは藤原儀彦/永井康友組のヤマハYZF750でしたが、5時間を経過しようとする場面でYZF750にクラッチトラブルが発生。安定して走りきったラッセル/スライト組が逃げ切りに成功しました。

画像: 1993年、表彰台の中央で喜ぶS.ラッセル(左)とA.スライト。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1993年、表彰台の中央で喜ぶS.ラッセル(左)とA.スライト。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1994年は、0.288秒の僅差で2勝目を達成!

2004年ホンダに移籍しSBKを戦うことになったスライトは、スーパーバイク・レギュレーション元年の鈴鹿8耐でダグ・ポーレンと組んでRVF/RC45で参戦することになります。最大のライバルは古巣のチームメイト、ラッセルとテリー・ライマーのカワサキZXR750Rでした。

予選首位はラッセルで、ポーレン/スライト組は3番手からの決勝となりますが、スタートから約30分で200Rにて首位集団の多重クラッシュが発生。赤旗中断後、8耐史上初の2ヒート制でレースは再開することになりました。ラッセル/ライマー組とポーレン/スライト組は激しいバトルを演じますが、なんと0.288秒という極小の差でなんとかスライトは自身の2連勝を達成しました。

画像: www.suzukacircuit.jp
www.suzukacircuit.jp

1995年、3連覇を達成!

1995年にスライトはGPライダーの岡田忠之と組み、前人未到の鈴鹿8耐3連覇にのぞみました。スペシャルステージによるグリッド争いでは3番手を確保。パートナーの岡田の頑張りもあり、スライトは無事鈴鹿8耐3連勝を達成します。

画像: 1995年、スライトはフリー走行で転倒した影響で本調子ではなかったですが、パートナーの岡田が奮闘したことにより、自身の連勝記録を3に伸ばすことができました。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

1995年、スライトはフリー走行で転倒した影響で本調子ではなかったですが、パートナーの岡田が奮闘したことにより、自身の連勝記録を3に伸ばすことができました。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

画像: 約46秒差で2位に入った伊藤真一/辻本聡組を、表彰台でたたえるA.スライト。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

約46秒差で2位に入った伊藤真一/辻本聡組を、表彰台でたたえるA.スライト。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1996年と1997年も、スライトは岡田と組んで鈴鹿8耐に挑戦しますが、自身の4連覇がかかった1996年は残念ながらリタイア。翌1997年は6位という成績に終わっています。1998年は出場しませんでしたが、1999年にはコーリン/エドワーズと組んで2位表彰台を得ています。

2000年のシーズンイン前にスライトは脳出血を起こしましたが、治療の甲斐あって九死に一生を得ます。そしてこの年を最後にSBKのフル参戦をやめることになりました。2輪引退後のスライトは英国ツーリングカー選手権、ストックカー・スピード・アソシエーション、そして英国GT選手権と、英国での4輪モータースポーツ活動をします。そして2005年からは、母国ニュージーランドの自動車をテーマにした30分TV番組、「AAトルク・ショー」に出演したりしていました。

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