本日は21日・・・ということで? TECH21(テック21)ネタを・・・。今年で第42回大会となる”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この日本一のビッグレースには、これまで数多くの世界ロードレースGP(現MotoGP)王者が参戦しました。8耐を走ったGPチャンピオンを紹介する連載、今回は1984年に世界ロードレースGP250ccクラス王者となったクリスチャン・サロンです。

米豪ライダー全盛期の'80年代500ccクラスでも活躍!!

1955年生まれのフランス人であるクリスチャン・サロンは、1976年のチェコスロバキア350ccクラスでGPデビューを果たします(決勝10位)。そして翌1977年のドイツGP250ccクラスでGP初優勝を達成しますが、GP2勝目は1982年フィンランドGPまで待たねばなりませんでした。

GPでのキャリアで、ずっとフランスのヤマハインポーターの「ソノート」と関係があったサロンの才能が開花したのは1984年。前年250ccクラスランキング2位だったサロンは、3勝を記録して見事250ccクラスの王者に輝きました。

画像: 1984年、世界ロードレースGP250ccクラスで、王者となったC.サロン(ヤマハ)。 www.yamaha-community.fr

1984年、世界ロードレースGP250ccクラスで、王者となったC.サロン(ヤマハ)。

www.yamaha-community.fr

1985年からはGP500ccクラスにワークスマシンのヤマハYZR500でフル参戦。初年度にドイツGPで500ccクラス初優勝を記録するなどの活躍をし、ランキング3位を記録しました。

画像: 1985年、ソノート・ヤマハのYZR500を駆るC.サロン。 video.eurosport.fr

1985年、ソノート・ヤマハのYZR500を駆るC.サロン。

video.eurosport.fr

その後もサロンは、1990年まで500ccクラスに参戦しますが、残念ながら再び優勝をすることはなくGPから引退をすることになりました。しかし、1988年は最多連続ポールポジション5回という当時の記録をマーク! 米豪ライダー全盛期の当時の500ccクラスにおいて、欧州人として奮闘した彼の活躍は多くのベテランGPファンの記憶に残っています。

ライダー交代時にシフトリンケージを交換!

そんなサロンは、1986年に平忠彦とペアを組んで鈴鹿8耐に参戦しています。この年からYZF750という名前になったヤマハのワークスマシンに乗った平/サロン組でしたが、踏み込んでシフトアップという「レーサーシフト」の平に対し、サロンは一般的な量産車と同じ踏み込んでシフトダウンという方式を好んでいたため、ライダーチェンジする際にシフトパターンも変更しなければいけないというハンディキャップをTECH21チームは抱えていました。

画像1: race.yamaha-motor.co.jp
race.yamaha-motor.co.jp
画像2: race.yamaha-motor.co.jp
race.yamaha-motor.co.jp

この年、TECH21チームの最大のライバルのホンダは、ワイン・ガードナーとドミニク・サロンを起用。なおドミニク・サロンは、クリスチャン・サロンの実弟です! 先行するライバル・・・ガードナー/D.サロン組に追いすがった平/C.サロン組でしたが、4時間経過後に3番手走行中だった平/C.サロン組のYZF750にマシントラブルが発生・・・あえなくリタイアとなりました。

なお1994年には、C.サロンは弟のドミニク、そして故・永井康友と組んでボルドール24時間に優勝。また1996年の鈴鹿8耐では久しぶりに平と再びペアを組み、一線級のスーパーバイクに混じって量産2気筒スポーツ車のヤマハTRX850で参戦。見事総合24位で完走を果たしています。

今年TECH21復刻版カラーが話題のヤマハですが、かつてのTECH21の歴史を語る際に、C.サロンは欠かせないライダーのひとりですね! 下の動画は2011年に収録された、ヤマハの世界GP参戦50周年に向けてのサロンのメッセージです。日本語字幕付きですので、ぜひご覧になってください。

画像: 【メッセージ】クリスチャン・サロン youtu.be

【メッセージ】クリスチャン・サロン

youtu.be
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