今年第40回記念大会を迎える”コカ·コーラ"鈴鹿8耐。この、日本で最も有名なロードレースイベントに1度でも優勝することはすべてのライダーにとって大きな名誉でありますが、過去39大会の歴史のなかには1度ならず、複数回優勝したグレートライダーが存在します。この連載は、そんな8耐マルチ-タイム・ウィナーを紹介していきます。今回は世界ロードレースGPでも活躍した、フランスのドミニク・サロンです。

世界耐久選手権で大活躍!

1985年から1991年まで世界ロードレースGP250ccクラスに参戦し、通算4勝をマークしたドミニク・サロンは、1959年にフランスのリヨンに生まれました。彼の4歳年上の兄、クリスチャンは世界ロードレースGP250ccクラスで1984年のチャンピオンとなったライダーとして有名です。

ドミニクはある意味、世界ロードレースGPよりも世界耐久選手権で活躍したライダーと言ってもいいでしょう。ボルドール24時間で7回! ルマン24時間で1回、そして鈴鹿8耐で2回優勝したキャリアは、耐久レース好きのフランスにおいては、最上級の偉業に他なりません。

最初の鈴鹿8耐である1981年はリタイア。大雨の1982年は11位。そして1984年と1985年は2位と、着実に成績を上げていきました。

1986年、鈴鹿8耐のパドックでのドミニク・サロン。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

1986年の鈴鹿8耐では、ホンダの8耐エースライダーのワイン・ガードナーとコンビを組み、RVF750に乗りました。この大会唯一のライバルといえるケニー・ロバーツ/マイク・ボールドウィン組(ヤマハ)の脱落後は敵なし状態で、2周差をつける197周で優勝しています。

本命を尻目に勝利した1989年大会

1989年はアレックス・ビエラと組んでBEAMSホンダ・イクザワでRVF750で出場。本命チームのワイン・ガードナー/ミック・ドゥーハン組(ホンダ)、ウェイン・レイニー/ケビン・マギー組(ヤマハ)がトラブルや転倒で脱落し、4番グリッドからスタートしたビエラ/サロン組が202周で優勝しました。

画像: 1989年、世界耐久王者となったA.ビエラ(左)とともに、表彰台の中央に上るD.サロン。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

1989年、世界耐久王者となったA.ビエラ(左)とともに、表彰台の中央に上るD.サロン。 ©︎オートバイ/モーターマガジン社

1990年は再びA.ビエラと組んで、シード スウォッチ・ホンダRTからRVF750で参戦し3位表彰台を獲得。1991年はホンダ勢から離れ、チームラッキーストライクスズキのGSX-R750Rで出場しますが、155周でリタイアに終わりました。

画像: 1990年、ゼッケン1で鈴鹿8耐連覇を狙った年の、A.ビエラ/D.サロン組のホンダRVF750です。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1990年、ゼッケン1で鈴鹿8耐連覇を狙った年の、A.ビエラ/D.サロン組のホンダRVF750です。 ©︎鈴鹿サーキット/モビリティランド

1992年にROCヤマハに乗り500ccクラスを走ったのを最後に、ドミニクは世界ロードレースGPのレギュラーを外れることになりますが、その後も世界耐久選手権レースには出場しています。なお1994年には兄クリスチャンと永井康友と組んでヤマハに乗り、ボルドール24時間を制覇しました。

1994年にD.サロンは、自身の名を冠したライディングスクールを開設。2009年にはふたりの共同運営者を加え、現在もその運営を続けています。

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