1994年以降、鈴鹿8耐はスーパーバイクのルールに準じて行われています。この連載は1998年に成立したSBK(世界スーパーバイク選手権)のタイトル保持者で、鈴鹿8耐を制覇したグレートライダーを紹介していきます。今回はミスター・デイトナの異名を持つ、スコット・ラッセルを紹介します!

カワサキ唯一の鈴鹿8耐勝利を記録!

ヒップホップ風に書けば? レイモンド・スコット・ラッセル a.k.a mr.デイトナは、1964年にジョージア州に生まれたアメリカンライダーです。

幼少期モトクロスに親しんだラッセルは、AMAでロードレースをする前に、AMAよりは格下のWERA主催イベントを走る、ありふれた若きアメリカ人ライダーのひとりでした。しかし、AMA2年目には750ccスーパースポーツクラスでランク2位になるなどメキメキと頭角を現し、1990年から1992年には同部門で3連覇を成し遂げることになります。

1992年にラッセルはAMAスーパーバイクのタイトルも獲得。カワサキライダーのトップ格と誰もが認める存在になったラッセルは、1993年鈴鹿8耐に伊藤ハムをメインスポンサーに迎えたカワサキファクトリーのZXR-7にアーロン・スランドと組んで参戦。見事カワサキ初の鈴鹿8耐のタイトル獲得に貢献しました。

画像: 1992年にカワサキZXR-7は、塚本昭一により全日本TT-F1チャンピオンマシンとなっています。またこの年は鈴鹿8耐を見据えてタイヤ交換システムに新機構を導入。SBKで活躍するスコット・ラッセルとアーロン・スライトを起用し、カワサキ初の鈴鹿8耐優勝を成し遂げました。©︎モビリティランド/鈴鹿サーキット

1992年にカワサキZXR-7は、塚本昭一により全日本TT-F1チャンピオンマシンとなっています。またこの年は鈴鹿8耐を見据えてタイヤ交換システムに新機構を導入。SBKで活躍するスコット・ラッセルとアーロン・スライトを起用し、カワサキ初の鈴鹿8耐優勝を成し遂げました。©︎モビリティランド/鈴鹿サーキット

ラッセルは、珍しい鈴鹿8耐記録の持ち主でもあるのです!?

1989年からラッセルはSBKにスポット参戦をしていましたが、1993年からは慣れ親しんだカワサキZXRでフル参戦を開始。そして初年度に8勝をマークしたラッセルは、SBKタイトル獲得に成功します。

デイトナ200マイルを走るS.ラッセル(ゼッケン4)。デイトナ200マイル通算5勝という大記録の保持者です。

www.motorcyclemuseum.org

翌1994年は9勝を記録するも、ラッセルはランク2位に甘んじる結果になります。1995〜1996年はスズキGPチームに起用され、RGV-Γで世界ロードレースGP500ccクラスを戦いますが、2年間で計19回の出走で表彰台2回という結果に終わりました。

1997〜1998年はヤマハでSBKで復帰するものの、2年で3位表彰台2回とかつての輝きを見せることはできませんでした。ただラッセルは母国デイトナ200マイルでは神がかり的な強さを誇り、カワサキで1992年、1994年、1995年を勝利。そして1997年と1998年はヤマハで2勝を追加。通算5勝という記録を打ち立てています。

なおラッセルは、鈴鹿8耐でもユニークな記録をマークしています。1988年から1998年の間、ラッセルは8度8耐に参戦しているのですが、ホンダ1回、カワサキ4回、スズキ1回、ヤマハ2回と、日本の4メーカーのマシンすべての乗車経験を持っています。

また1988、1990、1996年の3度のリタイア以外は完走し、すべて10位以内という優勝な成績をおさめています。その功績を讃え2005年にAMA殿堂入りを果たしているラッセルですが、2008年からは4輪レースに挑戦したり、TVコメンタリーを勤めたりと、モータースポーツの現場で活躍を続けています。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.