スズキGSX-Rとともにスターダムの道をあゆむ
1960年、ミシガン州デトロイトに生まれたポーレンは、家族とともに移り住んだテキサス州デントンの地で1977年からアマチュアとしてレースを始めました。1982年に転倒で負傷したことを機にポーレンは一時レースをやめますが、友人の誘いもあり1985年から再びサーキットに戻ります。
彼が頭角をメキメキあらわすことになったのは、1986年のことでした。スズキGSX-Rナショナルカップチャンピオンシップでポーレンは750ccクラスタイトルを獲得。1,100ccクラスでも年間3位という好成績をおさめました。
そのほかAMA 600ccスーパースポーツでも活躍したポーレンは、1988年にヨシムラと契約。期待に応え、AMA600ccスーパースポーツと750ccスーパーバイク両クラスのタイトルをポーレンは獲得します。両クラスを単年で制覇したのは、AMAの歴史で初の快挙でもありました。
1989年はヨシムラのライダーとして全日本選手権TT-F1とF3に参戦。日本でもポーレンはTT-F1とF3のダブルタイトル獲得という偉業を達成しています。
なおポーレンが鈴鹿8耐に初出場したのは1987年(ホンダVFR750RK、パートナーはL.ペロ)で23位でしたが、1988年にはK.シュワンツと組んでヨシムラGSX-R750を駆り、2位表彰台を獲得しています。
翌年1989年は同じコンビで8位。1990年はミゲール・デュハメルと組んで6位でした。ヨシムラ時代のポーレンは鈴鹿8耐では総じて好成績と呼べる結果を残しましたが、優勝には届かないままチームを去ることになります・・・。
ドゥカティで2度のSBKタイトル獲得。そしてホンダで掴んだ8耐優勝!
1991年にポーレンは、エラルド・フェラッチ率いる有力プライベーター、「ファスト・バイ・フェラッチ」からSBKフル参戦をします。そして7連勝を含む17勝という好成績で見事参戦初年度でのSBKタイトル奪取に成功します。翌1992年はドゥカティファクトリーのエースとなったポーレンは、9勝をマークしタイトル防衛を成し遂げました。
なおポーレンは1992年AMAスーパーバイクでも年間3位になりましたが、1993年はドゥカティからのリクエストでAMAシリーズに専念。その要望に応え、ファスト・バイ・フェラッチのマシンで2位に大差をつけてAMAスーパーバイクタイトルをドゥカティにもたらしました。
1994年、ポーレンはホンダのSBK新鋭機であるRVF/RC45のライダーとして、カストロール・ホンダと契約。再びSBKフル参戦することになりました。しかし1995年まで続いたホンダ時代、ポーレンは終ぞRVF/RC45で1勝もあげることができませんでした。
しかし、アーロン・スライトと組んで出場した1994年の鈴鹿8耐ではスコット・ラッセル/テリー・ライマー組のカワサキと激しいバトルを演じ、0.288秒という極差で優勝を成し遂げています。
有終の美は、世界耐久選手権2連覇で飾る・・・
なおポーレンは1996年からFIM EWC=世界耐久選手権に参戦しています。1997年にスズキではピーター・ゴダードと組み、1998年のホンダではクリスチャン・ラヴィエイユと組み、それぞれタイトルを獲得しています。
ポーレンのキャリアは、タイトルコレクターと呼ぶにふさわしい活躍と言えるでしょう。引退後にレーシングスクールを営んだポーレンは、2011年にAMA殿堂入りを果たしました。